浦安市 海苔の養殖を見送った浦安
後に浦安を代表する名産品になる海苔が江戸時代に養殖を行おうとした記録が残っています。
当時、江戸の商人、近江屋甚兵衛は海苔の養殖地を探していました。淡水と海水が入り混じる河口の町に甚兵衛は営業を行います。新井村、堀江村、猫実村の名主に海苔の養殖のためにのりヒビ(海苔養殖のため海苔を付着させるもの)を建てさせてほしいと頼み込みますが、魚の漁の邪魔になると断られてしまいます。
この後、皮肉なことに甚兵衛は千葉県君津で海苔の養殖に成功、「上総海苔」としてとても人気になったといいます。 この時代から海苔の養殖が盛んであったら浦安はきっと違う時代を歩んだのかもしれません。
※ 画像は安藤広重作、名所江戸百景(堀江猫実)佃煮西金のパッケージより
■近江屋甚兵衛:1766~1844
江戸四谷生まれの商人。妻の死を期に海苔問屋を志します。 東京湾岸の町に海苔の養殖地を探しますが、ことごとく断られ千葉県を南下、人見村(千葉県君津市)でようやく協力を得ることができました。
2年で甚兵衛の海苔養殖は成功したが念願の海苔問屋には権利の関係でなれなかった。東京湾岸周辺に海苔の養殖を広めた研究熱心な近江屋甚兵衛は養殖成功の地、千葉県君津市に眠っています。
本日、浦安市美浜自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて
浦安市舞浜ディズニーリゾートに行かれました。
本日、浦安市富岡順天堂浦安病院より浦安市東野自宅に退院し
戻りました。